ひと月が過ぎて−FKKの皆様に感謝を込めて−長女を偲びつつ(4)

私たちの身に突然の出来事が起こった真っ只中でのFKKのファミリーキャンプの御用となり・・・キャンプの様子をブログに書き留めることもできずにひと月過ぎました。

今振り返りますと、精神面と身体面は全く不十分だったと思います。
ところが不思議ですが、三回の集まりとも自分で語りながら自分へのチャレンジのメッセージでした。

・「私の身の起こったこと-使徒とは違う中身ですが-」(ピリピ1:12)が「かえって福音の前進になる」ようにと祈らされました。
・また、「(私にとっては)生きることはキリスト…」(ピリピ1:21)は、私の座右の言葉ですが、S宣教師夫人はこの言葉を心に抱いて宣教地へと出発されると話されました。
なぜでしょう。私は今までは、「(私にとっては)生きることはキリスト」、そこでいつもピリオドを打ってきました。
ですが今回は「死ぬことも益です」が、強く私の魂を揺り動かしていました。それは8月初めに山口のKさんにお願いした色紙でも書いていただいたばかりでした。
「死ぬことも益です」・・・「そうなのだ、そう生きよ」、と改めて主から呼びかけられた思いがしています。
・「同労者」として・・・この言葉の持つ力強さを感じながらお話ししたことも・・・


・最終の集会の前奏曲「苦しみ我を囲むとも」を聞いたとき(奏楽者のA師夫人は事情を知る由もなく、小僕の作詞曲をご存知なので選ばれたのでしょう)、涙が込み上げてきてメッセージができないのではないかと思いました。

 

・すべての集会が終わり、感謝のひとときとなり、最後の最後に「私たちの身の起こったこと」を話してしまいました。それは使徒が「同労者」に対し、心の奥深く、胸の内をさらけ出した姿と重なっていました。「私(私たち)のためにお祈り下さい」と。
S師の案内で、N師ほか教師皆様が壇上に来て、代表のA師が小僕のためにお祈りして下さいました。止めども無く涙があふれました。大きな慰めの時でした。

 

・一足早くバスで帰る予定にしていた小僕のため、S師は帰りの方角が違うのに京都駅まで車で送って下さり、道々、よき時間をつくって下さいました。一旦戻り家族だけの8.19に「葬式」を行い、8.21には大阪のK教会(Y師夫妻は緑園chゆかりのある方々)へ赴きましたが、ご夫妻の私たちへのご配慮の中で御用をさせていただきました。

8.22は嵐(台風9号)の中での「葬送式」(礼拝様式)でしたが、FKKのA師と参加者一同様の名前でお心のこもった「電報」をいただきました。

・8.14〜8.22は、時間が止まったような、空白のような、「非現実の時空」に思えてなりません。
そのような中で大切な御用に当たらせていただいたという現実には言葉に表せないものがあります。FKKの皆様の温かいお心に感謝いたします。

前に戻れないのも事実ですね。
無理矢理乗り越えようとしないように、自分たちに言い聞かせながら新しい日をめくっています。
お祈りを感謝しつつ。

 

カウンター

「世の光&ライフ・ライン動画専用」 https://www.youtube.com/watch?v=FjpnRQX1FQI