・去年4月末に転居しました。2010年に義父は体調を崩しました。それまでは考えもしなかった妻の両親の「介護」という「課題」が目の前に浮上してきました。二人で悩みつつ祈りつつ、この「大役」を引き受けることにしました。
そして、「牧師」から「巡回宣教使」へと働きも変えました。去年左下のような転居挨拶状を出しました。
あれから10ヶ月経ち、この「大役」が終わりました。挨拶状も右下のように書き換えました。
・妻は精一杯、この「大役」を果たしました。両親の最期をそれぞれ看取りました。祈りとみことばと讃美の中で送りました。付添人にすぎない私も主の恵みに加えていただきました。ただ、途中、全く予想も、想像もできなかった大きな別れを引きずりながらですが。。。
・義父は大型商船の機関長でした。世界一周を二度完遂しています。振り返りますと、義母は長崎で教員をしていた時に被爆しましたが生き残りました(義父の弟は亡くなりました)。義父がもし卒業が終戦年でなかったら駆逐艦かなにかで沈んでいたと思われます。納骨の折に、聖歌472番「人生の海の嵐に」、同523番「灯台は遥か」を歌いましたが、改めて義父母の人生に重なります。義父95歳、義母93歳でした。
・二人ともTV「ライフ・ライン」の良き視聴者でした。2015年6月、私たちの長男の導きで信仰決心し、受洗に至りました。
ヘブル11:16
しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
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