羽鳥明先生葬儀式で(2)

●私の挨拶は、私の人生を左右する「三つのことば」を伝えてくださった「“光”の使者-羽鳥先生」(子供の頃のヒーロー「月よりの使者=月光仮面」になぞらえて)ということでお話ししました。要点をしるしておきます(実際はもっと多い)。

(1)「わたしは世の光です」(キリストのことば。1970年7月「世の光バイブルキャンプ」にて);
 ⇒ キリストを信じる決断(入信)
 当時の私の心は路地裏に捨てられたビニール袋のようにむなしく漂っていました。羽鳥先生はやさしく導いて下さいました。「この心の闇を追い払うのはただ光しかないのです。それが世の光キリストなのです」と。1970年7月。
(2)「私は福音を恥としない」(使徒パウロのことば。1974年6月「第1回日本伝道会宣教大会」にて);
 ⇒ キリストを伝える伝道者に進む決断(献身)
 「よく助かったね」と周りの人に言われるような交通事故に遭い、(同乗していた母と)2ヶ月半の入院を余儀なくされてはじめて、「生きているのではなく、生かされているのだ」と自覚させられました。その翌年、当時羽鳥先生が責任者でした神学校へ進みました。
(3)「私には返さなければならない負債がある」(使徒パウロのことば。1974年6月「第1回日本伝道会宣教大会」にて・・・でも心の奥にしまい込んでいた);
 ⇒ 放送伝道(福音放送)の協力メッセンジャーとしての決意(そして「宣教使」として)
 羽鳥先生が「世の光」から本当に見えなくなりました。信じられないことです。

そして今、「あとはたのんだよ」と“外套”を渡されたような気がしています(「世の光」2001年3月~・「ライフ・ライン」2007年6月~の協力メッセンジャーの一人に加えられています)。

「でも先生、私にはこの“外套”は大きすぎます。・・・」と尻込みしていますと、「でもあなたには返すべき負債があるんじゃないの?・・・・」「はい、わかりました」

 

 今、収録の前に思い出すことにしていることがあります。2ヶ月半の病室で身動きできない私たちが毎朝聞いた文化放送「世の光」の、あの「さわやかな光」「今日を生きる力」「明日への希望」です。

 これが私の「“光”の使者-羽鳥明先生」です。

 

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「世の光&ライフ・ライン動画専用」 https://www.youtube.com/watch?v=FjpnRQX1FQI