テストヴィド神父・・・

○先日、「横浜開港資料館」へ赴きました。

昨年12月にLAの友人Mさんのお姉様Tさんから頼まれていた、彼女の属するA教会を開拓された「テストヴィド神父」のことを少し調べるためでした。初めて耳にする名前でしたが...東海道地方にカトリックの基礎を築いた宣教師だったとのこと。

「資料館」のスタッフによればここにはカトリック系の資料はほとんどないとのことでしたが、それでもいくつかのことがわかりました。そして驚きました。

 

パリー外国宣教会宣教師として1873年(明治6年) 8月に来日。確かに横浜港に入港した記録(China Directory 1874)も見つけました。

横須賀で日本語学習とフランス人技術者(造船)の司牧、75年横浜に移動し、同時に神奈川県伝道に従事したとのこと。

77年、砂川(現在の立川)と八王子の二つの村(当時は神奈川県)で信徒団を設立とのこと。

そして80年、神奈川県から岐阜県にかけて「東海道筋伝道者」として約3ヶ月掛け、全地域を数回巡回し、この働きにより信徒が1500名を超えたとのこと。

そして驚いたことに、当時、業病と恐れられ、水車小屋に「隔離」されていた30代の女性ライ病(ハンセン病)患者に洗礼を授け、5名の方々の世話をしたとのこと。そして89年、御殿場郊外に「神山(コウヤマ)復生病院」を設立した。入院患者は90年末で42名になったとのこと。

彼は激務の中で宣教活動に徹し、91年春、病気に倒れ、5月香港の宣教師療養所に移りその地で永眠。41歳。

 

*あとで、『明治の東海道を歩いた宣教師 テストヴィド神父書簡集』 ( ドン・ボスコ社, 1,200円)が出版されていることを知りました。

*「神山(コウヤマ)復生病院」のhpには「日本初のハンセン病の療養施設」だったとあります。現在は皮膚科、心臓内科、緩和ケア外来を扱っている一般的な病院です。この病院には歴史を物語る「記念館」があるようです。

有名な岩下壮一神父は、この病院の院長(1930~1940)でした。岩下神父は文部省時代フランスに留学し、そこで「司祭」への道に進む献身決意をされたとのことです。

 

では、シャローム!

カウンター

「世の光&ライフ・ライン動画専用」 https://www.youtube.com/watch?v=FjpnRQX1FQI