○1月11日㈫
昨日、「氷の破壊力」に触れましたが、
こうした現象は、私たちの人間関係にも現れますね。
ある日、主イエスは神様の愛を見失った「正しい人-律法主義者たち」の非難を浴びました。
弟子たちが「 洗わない手でパンを食べている-汚れている」と。
もっともらしく聞こえますが、明らかに主イエスに対する言いがかり、嫌がらせでしたが、主イエスはこう応えられました。
マルコ7章
20 イエスはまた言われた。「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。
21 内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出てきます。淫らな行い、盗み、殺人、
22 姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、
23 これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」
夜中に目を覚まし、
この主イエスさまの語りかけを改めて聴きながら、「汚す」という行為は他者に対する行為で片付けてしまいやすいですが、「聖なるお方」に対するものではありませんか、と問われた思いがしました。
神様の愛、あわれみの心を見失った「正しい人-律法主義者」の陥る危険性は、私たち/私の心の中にもあることをしっかり覚えておきます、そして、
「へりくだり-低い心」は、今の私にはあまりにも「高い心」ですが、私に残された旅路の中で求め続けて行きます、そう心新たにしました。
ではシャローム!
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