鋤に手をかけながら・・・

 ○1月24日㈰

 

ルカ9章61節~62節

また、別の人が言った。「主よ。あなたに従います。ただ、まず自分の家の者たちに、別れを告げることをお許しください。」
すると、イエスは彼に言われた。「だれでも、鋤に手をかけてからうしろを見る者はだれも、神の国にふさわしくありません。」

 

重大なことを決断する場面で、その場に居合わせ中間的な態度を示すことがあります。立派に見えるでしょうか。

言い訳や優柔不断な態度は他人事ではありませんね。

責任逃れの、事勿れ主義にすぎないのかもしれません。

その決断が平和へ進むのか争いを招くのか・・・

 

「良きサマリア人」のたとえ話(ルカ10章30節~34節):

強盗に襲われて道端に半殺しにあった人がいた。

そこを通りかかった人たちがいた。

その人たちは、見て見ぬ振りをして反対側を通り過ぎて行った「立派な人たち」と呼ばれていたが・・・、

彼を助け、介抱し、宿屋にまで運んだ旅人がいた。その人はサマリア人で、当時の「立派な人たち」が「蔑んでいた人」だった。

 

今日も主イエスは、「神の国にふさわしい」決断を求められる。

今日も主イエスは、「だれが強盗に襲われた人の隣人となりましたか」、と問われる。

平和、幸せへの道を開く鍵が私に預けられていることを忘れずに歩みたいですね。

 

ではシャローム!

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